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死について考える

愛猫が死にました。

本来なら悲しいことです。でも悲しいという感情はありません。

僕が冷たい性格だから?そうかも知れません。

10数年前に母が死にました。母と猫を同列に扱うとおしかりを受けるかも知れませんが。

そのときも悲しくはありませんでした。

愛猫の時も、母の時も、悲しさよりも、心に空虚な感じ、寂しさの方を強く感じました。

愛猫の場合も、母の場合も、いろいろな思い出がよみがえってきます。いい思い出も悪い思い出も。

思い出がよみがえるたびに、寂しさを感じるのです。

愛するものが死ぬとき、普通は泣きます。

この悲しみは、愛するものに永遠にあえないという悲しみなのでしょうか。それとも思い出がよみがえることによって起こる寂しさからなのでしょうか。

僕は神を信じます。いわゆる汎神論です。

神の中に生きていると思っています。

死ぬというのは、必然です。

神の中にいる僕たちが、死ぬという必ず訪れる「できごと」に出会って、悲しみを感じることができるでしょうか。

そのように考える僕がいるから、悲しみを感じないのでしょうか。

僕は、魂を信じます。

死んでも肉体がなくなるだけで実態は変わらないと信じます。

ですから、愛猫も、母も、どこかわからないけれど、ある意味、「生きている」と信じます。

そのように感じる僕がいるから、悲しみを感じないのでしょうか。

生きていれば必ず死にます。

誕生したとき、感激を味わいます。

息子の時がそうでした。

何ともいえぬ感動を覚えました。

初めて抱いたときに一言短く看護師さんが言った誕生時間と体重を、今でも鮮明に覚えています。

それだけ感動を覚えたのです。

生きているからこそ、死があるように思います。

生まれて感動するのに、なぜ死ぬときには感動しないのでしょうか。

生きて、生きて、生きて、そして死ぬ。

その死は、感動ではなく、なぜ悲しみが主体なのでしょうか。

僕は、死に悲しみを覚えません。

でも、母が亡くなってから数日、一人暗い部屋で、突然号泣してしまいました。

あの強い揺さぶるような悲しみはいったい何だったんでしょうか。

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