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身体

気の実在・3

ここまで気について徹底して書くのには訳があります。

東洋医学を行っている者で、確かに気を利用はしているがその気についてを詳しく考えたことのある人はどれくらいいるでしょうか。

気を扱うのですから、やはりその気について深く追求すべきではないでしょうか。

単純に気が何かを考えずに、「氣」と旧漢字で表してみたり「qi」と英語で書いてみたりしても何の意味もありません。教科書通りの気の扱いを教科書通りに行ったとしても、それが気の扱いといえるでしょうか。

気とは何か。

このことを徹底して考え抜くことにより、実際の臨床でいっそうなめらかに気を扱えると思うんです。

さて、世界には気が充満しています。気は様々なものに含有し、相互に作用し合っています。路傍の石ころにも草木にも人体にも気が充ち満ちています。各々の気は、互いに流通し互いに関連し合います。

ところが人体の場合何らかの異変があると、気の過不足が起こります。世界の気の広大無辺さに比べれば人体の気は一滴にも満たないものです。しかしその一滴にも満たない気に異変が起こると、人の身体は異常を来すのです。その様態は、気に異変があり人体に異常を来しさらに気の異変が大きくなる場合、人体に何らかの異変が生じ気の異変につながる場合など様々です。

前回は、実在はあくまでも実在感に過ぎないと書きました。

気についても、信じていない方には実在感がないので実在はしないとお考えなんでしょう。

でも、一度気の実在感を味わえば、その大きな感覚に圧倒され、実在を信じるようになります。その実在感が、世界の中の人体というちっぽけな気であったにしてもです。

その一滴にも満たない気の異変に何らかの工夫を加えることが、東洋医学における治療なのです。

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